メニュー

ヨガは自分には合わないと思っていた。ヨガとの出会いで変わった「運動」への考え方

ヨガマットの上で自分の呼吸と体に意識を向ける女性
Artwork by Iris / Karada Cafe
  • URLをコピーしました!

昔の私にとって、運動は「頑張るもの」でした。

負けたくない。
どうせやるなら強度は高いほうがいい。
汗をかいて、きついところまで頑張って、終わったあとの爽快感を楽しむ。

そんな感覚が当たり前だったので、ヨガやピラティス、ストレッチには、正直あまり興味がありませんでした。

どちらかというと、「激しい運動が苦手な人がやるもの」というイメージすら持っていたと思います。

今振り返ると、ずいぶん勝手な思い込みです。

でも、その頃の私はヨガをきちんとやったこともないのに、「自分には合わない」と決めていました。

そんな私がヨガに興味を持つきっかけになったのは、意外なほど些細なことでした。

ジムで、時間が空いてしまったんです。

目次

仕方なく参加したヨガで、運動の見え方が変わった

その日は次にやりたいことまで時間があり、どうしようかなと思っていたところにヨガのクラスがありました。

ヨガをやりたくて参加したわけではありません。

「時間もあるし、ほかにすることもないから出てみようかな」

本当にそのくらいの気持ちでした。

ところが、実際に参加してみると、私がそれまで思っていた「運動」とはずいぶん違いました。

もちろん、ヨガは単に「運動」とひとくくりにできるものではありません。
呼吸や自分自身への意識など、身体を動かすことだけではない考え方がありますが、当時の私はそんなことも知らず、「体を動かすもの」というフィットネスの延長でしか見ていませんでした。

誰かに勝つ必要がない。
隣の人より上手にできる必要もない。
難しいポーズを完成させることだけが目的でもない。

呼吸をしながら、自分の体がどう動いているのかを感じる。

筋肉が伸びている感覚や、左右で違う感覚。
呼吸をすると体のどこが動くのか。
無理をしていないか、逆に力が抜けているところはないか。

それまでの私は、運動中に「自分の体を感じる」ということを、あまりしていなかったのだと思います。

頑張れるか。
もっと動けるか。
最後までやり切れるか。

意識はいつも、もう少し先に向いていました。

ヨガでは、その意識を今の自分の体へ戻していきます。

それが私には、とても新鮮でした。
インストラクターの方のインストラクションや、言葉のチョイスが、その時の私にハマったというのもあるかもしれませんが。

「これは、運動する人ほど必要なのでは?」と思った

ヨガのクラスを受けながら感じたのは、「こういう時間こそ、普段運動している人にも必要なのでは?」ということでした。

筋力をつける。
持久力を高める。
たくさん動く。
汗をかく。

もちろん、それも運動の大切な部分です。

でも、体を動かすのであれば、その体が今どういう状態なのかを知ることも同じくらい大切なのではないか。

どこが硬いのか。
どこに力が入りやすいのか。
左右で動きやすさが違わないか。
呼吸が浅くなっていないか。

こうしたことは、強度の高い運動をしているだけでは、私はなかなか意識できませんでした。

ストレッチも同じです。

以前は「運動の前後にやっておいたほうがいいもの」という感覚が強かったのですが、筋肉の伸びや関節の動きをゆっくり感じる時間そのものに意味があると考えるようになりました。

運動することと、自分の体を見ること。

私の中では別々だったものが、ヨガをきっかけに少しずつつながっていきました。

そして気がつけば、「自分でも、もっとヨガを知りたい」と思うようになっていました。

以前なら選択肢にも入っていなかった、ヨガの養成コースにまで目が向くようになったのです。

自分でも驚く変化でした。

「自分には合わない」は、どこから来たんだろう

ヨガとの出会いを振り返ると、ひとつ気づいたことがあります。

私はヨガが嫌いだったわけではありません。

ヨガは自分には合わないと、やる前から思っていただけでした。

考えてみると、こういうことはヨガだけではありませんでした。

自分には合わなそうなプログラム。
なんとなく苦手そうだと感じたインストラクター。
好きではなさそうな動き。
自分とは違うと思った考え方。

一度「私はこっちが好き」と思うと、その外側にあるものをあまり見なくなっていた気がします。

もちろん、自分の好きなものが分かっていることは悪いことではありません。

忙しい毎日の中で、限られた時間を好きなことに使うのも大切です。

ただ、「好きなものを選ぶ」のと「知らないものを最初から除外する」のは、少し違います。

フィットネスには、想像していたのと実際にやってみた感覚が違うものがたくさんあります。

ダンスは難しそう。
筋トレはきつそう。
ヨガは物足りなそう。
格闘技系は自分には無理そう。
ピラティスは地味そう。

そんな第一印象を持つこと自体は自然です。

でも、それはまだ「やってみる前の自分」が想像した世界でもあります。

実際に体を動かしてみたとき、自分がどう感じるかは分かりません。

好きになるためではなく、自分で決めるために試してみる

だからといって、「何でも挑戦しましょう」と言いたいわけではありません。

一度やってみて、

「やっぱり苦手だった」
「これは好きじゃないな」
「私には合わない」

と思うことだってあります。

それでいいと思っています。

むしろ、一度体験したからこそ「これは違う」と分かることも、自分を知るひとつの材料です。

私が大切だと思うようになったのは、好きになるために試すのではなく、自分で好きか嫌いかを決めるために試してみることです。

「嫌いだと思っている」と「やってみたけれど嫌いだった」。

似ているようですが、私にとってはまったく違います。

前者には、まだ自分の知らない可能性が残っています。

ヨガは、まさにそうでした。

もしあの日、時間が空いていなかったら。

もし「ヨガは私には必要ない」と、そのままクラスの前を通り過ぎていたら。

私は、自分の体と向き合いながら動くという感覚を、もっとずっと後まで知らなかったかもしれません。

フィットネスの「食わず嫌い」を、ひとつだけ外してみる

年齢を重ねるほど、自分の好き嫌いや得意不得意は分かってきます。

「私はこういうタイプ」と説明できることも増えていきます。

それは、自分を知ってきたからこその心地よさでもあります。

一方で、その「私はこういう人」が、新しいものを遠ざける理由になることもあります。

特に運動は、体験してみないと分からないことが多いものです。

同じヨガでも、クラスやインストラクターによって雰囲気は違います。
同じ筋トレでも、自分のペースで行うのと誰かに追い込まれるのとでは印象が変わります。
「苦手だと思っていた動きが、意外と気持ちよかった」ということもあります。

だから最近は、「これは自分には合わなそう」と感じたときほど、少しだけ立ち止まるようにしています。

本当に嫌いなのかな。
それとも、まだ知らないだけなのかな、と。

無理に続ける必要はありません。
好きにならなくてもいい。

一回やって、「違った」と帰ってくればいいんです。

でも、その一回から、自分が今まで知らなかった楽しさに出会うことがあります。

私にとっては、それがヨガでした。

運動の選択肢がひとつ増えただけではありません。

頑張ることだけが運動ではないこと。
自分の体を感じる時間も運動の一部であること。
そして、自分が「好きじゃない」と思っているものの中には、まだ知らないだけのものもあること。

たまたま参加した一回のクラスから、ずいぶんいろいろなことを教えてもらった気がします。

今でももちろん、食わず嫌いはあります。

それでも、「自分には合わない」と扉を閉める前に、一度くらい覗いてみる。

そのくらいの軽さがあると、フィットネスも、日々の楽しみも、もう少し広がっていくのかもしれません。

☕ Irisのひとこと|「好きじゃない」は、やってから決めてもいい

あの日の私は、ヨガを好きになるなんて思ってもいませんでした。
予定外に空いた時間が、自分の「当たり前」を変えてくれることもあるんですね。
食わず嫌いだったものほど、意外な扉につながっているのかもしれません。

  • URLをコピーしました!
目次