朝、何を食べたか思い出せない。
昨日の夜ごはんも、少しあいまい。
食べていないわけじゃないのに、食事の記憶だけが、すっと抜け落ちている。
そんな日が続いたとき、「何を食べるか」よりも、食事の時間そのものが、雑になっているのかもしれないと思うようになりました。
食べたはずなのに、記憶に残らない食事
毎日食事はちゃんと食べている。
ただ、
立ったまま食べたり、
スマホの画面を見ながら口に運んだり、
次のことを考えながら終わらせたり。
食事が作業になると、食べた時間だけが、すっと抜け落ちます。
食事の時間を、雑にしないという選択
ここでいう「雑にしない」は、
- きれいに盛りつける
- 栄養を考える
- ゆっくり時間を取る
という意味ではありません。
食事のための時間として区切ることをいっています。
ほんの少し、区切りをつくるだけ
大きなことはしなくて大丈夫です。
・座って食べる
短い時間でも、姿勢を切り替えるだけで「今は食事中」という合図になります。
・食べ始める前に、ひと呼吸
深くなくていい。始まりを、からだに知らせるだけ。
・食べ終わったら、すぐ立ち上がらない
一瞬でいいので、「食べ終わった」という感覚を残します。
毎回じゃなくてもいいし、自分なりの区切りを方でいいんです。
雑にしなかった日は、思い出せる
不思議なことに、こうして食べた日は、「何を食べたか」までは覚えていなくても、食事をした時間が、ちゃんとあったという感覚が残ります。
それだけで、暮らしの中にひとつ、区切りとなり自分の生活のリズムが生まれます。
何を食べるかより、食事をした時間を消さないこと
食事を整えようとすると、内容や正解に目が向きがちですが、まずは食事の時間を、なかったことにしないそれだけで十分な日もあります。
変えなくてもいい。
がんばらなくてもいい。
雑にしなかった、という感覚だけでも、その日の食事は役割を果たしています。
覚えていなくても、ちゃんと区切りがあればいい。
食事の時間を雑にしなかった、という事実だけで、からだは一度、立ち止まれている気がします。

