東京から数時間かけて、郊外の乗馬クラブへ向かう。往復の移動時間4時間くらいで、実際に馬に乗っているのはわずか20~40分ほど。それでも、その20分のために出かけていく時間がありました。
きっかけは、友人が編集の仕事で乗馬を担当することになったこと。「乗馬の体験に行くから、一緒にどう?」と誘われ、軽い気持ちでついていきました。
ちゃんと馬に乗るのは、人生で初めて。最初は、ただただ楽しそうという興味でした。
目線の高さと、揺れるからだ
馬にまたがった瞬間、まず驚いたのは目線の高さでした。普段よりもずっと高い位置から見る景色は、それだけで特別でした。
馬が歩くたびに、からだがゆっくり揺れる。自分の足で歩いているのとは違う、誰かの歩みに身をゆだねる感覚。最初の頃は、それだけで十分でした。
「馬に乗るって、こんなに気持ちいいんだ。」
ただそれだけで、心が弾みました。
生き物に“乗せてもらう”という感覚
何度か通ううちに、並足や速足を習うようになりました。
お腹を軽く蹴る合図。
手綱の引き方。
体重移動。
頭では理解しているつもりでも、うまく伝わらない。
馬はちゃんと感じ取ろうとしてくれている。
それなのに、自分の合図が曖昧で、思った通りに動いてくれない。
もどかしさと、申し訳なさ。
「わかってくれない」というより、「ちゃんと伝えられない自分」に気づく時間でした。
馬は機械ではありません。感情があり、気分があり、体調がある。
自分だけの意思でどうにかできるものではない。“乗っている”というより、“乗せてもらっている”という感覚が、少しずつわかってきました。
経験豊富なベテランの馬と、無邪気に遊ぶ子どものような私
乗馬クラブで私のような初心者を乗せてくれる馬は、現役(競技や競馬等)を引退したベテランの馬も多いようです。長く人を乗せてきた、穏やかな存在。
どこか、子どもをあやすような余裕があったのを覚えています。うまくできない私を、少し呆れながらも受け止めてくれているような感覚。
馬の耳の動きや、しっぽの振り方、呼吸の変化。生き物と向き合う時間は、思っていた以上に繊細でした。爽快感から始まった乗馬は、いつのまにか「対話」の時間になっていました。いつか私のことを一人前として信頼してもらいたいなって。
乗馬を続けたい気持ちと、現実
乗馬をするには、時間もお金もかかります。東京から数時間かけて通い、実際に乗るのは短い時間。それなら、騎乗時間やコストを考えて効率のいい方法を選ぼうと、最初に選んだのは、乗馬5級ライセンス取得コースでした。そのあとは、スポットや回数券でいろんな乗馬クラブを体験でいったり。
週末に何度か通い、少しずつ慣れていく。その時間は、とても濃いものでした。
本当は、もっと続けたかった。
いつか馬と一緒にバー(障害)を飛び越えてみたいと妄想したりもしてました。
でも、仕事が忙しくなり、往復の時間や費用(いちばん大きい)のこともあり、自然と足が遠のいていきました。正直に言えば、再開したい気持ちは今もあります。けれど、簡単ではないこともわかっています。
乗馬が高い理由も、よくわかります。馬も生きていて、食べて、眠って、暮らしている。そしてそれを支える人がいる。だから「高い」と一言で片づけることはできませんが。

通じ合うことの難しさ
乗馬でいちばん印象に残っているのは、爽快感よりも、通じ合おうとする時間でした。伝えたいのに、うまく伝わらない。相手を感じようとしなければ、何も始まらない。
それは、人との関係にも少し似ています。思い通りに動かそうとするのではなく、相手の呼吸や気配を感じながら、自分の意思を整えていく。
うまくできなかった記憶も含めて、あの時間は、私にとって大切な経験でした。もう何年も乗馬はしていません。でも、ふとした瞬間に思い出します。
あの目線の高さ。
揺れるからだ。
生きている馬に乗るということ。
言葉ではなく通じ合おうとした時間。
いつか、また。
うまくできなかったことも、続かなかったことも、
私の中ではちゃんと残っています。
通じ合いたいと思った時間は、今も静かに心にあります。



